4年ぶりの里帰りから
今年は、コロナ以降はじめて生まれ故郷の佐渡に帰ることができた。
育ったのはほとんど神奈川なのだが、生まれた時から生後半年までは佐渡で過ごした。
その後も、長期の休みのたびに母と帰省していた。
日常で苦しさを感じて過ごしていた時も、佐渡に帰ると祖父母はとてもやさしく迎え入れてくれ、豊かな自然にも癒されていた。
だから佐渡は大好きだったし、“エスケープ”の場所でもあった。
今回はバイクで帰った。
フェリーが到着し、車両用の出入り口から佐渡の地へ乗り出す瞬間、「着いたぞ!」と心の中で叫んだ。そうしたら涙も一緒にどっと流れてきて、自分でも驚いた。本当に、ここに帰ってきたかったんだ。
恥ずかしながら、ヘルメットの下で泣きじゃくりながら祖父母の待つ家まで向かった。
祖父母はふたりとも90歳前後になる。特に祖父は4年前に癌を患ったので、この4年でどこまで衰えているのか正直心配だったが、いざ会ってみると思った以上に以前と変わらない生活をしているように見えて、安心した。
ずっと農家として生きてきた二人で、もう出荷こそしていないが今もできる限りの作物を育てて生活しているので、体力が違うのだろう。新潟の夏は暑いが、今も毎日早朝に起き、昼前まで農作業をしている。今年も畑からとれた、一玉10キロ近いスイカを2つ頂いた。
この年になって今更だが、この二人から、そして佐渡の地から、たくさんのものをもらって生きてきたんだなと、今回は強く思った。
当たり前のようにそこにあり続けて、行けば身をゆだねて甘えてこれた。身も心も、食や経済面も。その当たり前の裏に、二人の歴史、日々の生活の積み重ねで培われてきたものがあった。一面の畑や家はもちろん、古びた家具やかまど、納屋に吊るされたにんにく、そういったどれ一つをとっても、歴史や尊さ、儚さのようなものがじんわりと感じられた。そういったたくさんの積み重ねでつくられてきた場に、支えられてきたのだと。
もちろん感謝の想いはこれまでもあったが、二人への尊敬、敬意のような感覚をここまで持ったことはなかった。
会えなかった4年の歳月、自分自身が年齢や経験を重ねたこと、老いた2人のなお変わらない生活を目の当たりにしたこと、さまざまな要因から、そういう視点が生まれてきたのかもしれない。ようやく大人になったということだろうか。
敬意と、感謝。
そういう境界線が、自分の中で引かれた気がした。
そして、僕はこれから何を成していくのだろう。何を渡していくのだろう。
この世界の中で、どんな場をつくっていくのだろう。
少しの焦りと、そして自分の中にも確かに積み重なっている何かがあるという感触とともに、自分自身のこれからを思う時間だった。