ゲシュタルト療法をファシリテートする、心理療法の専門家「ファシリテーター」がワークショップの雰囲気やセッションの内容などに触れるブログを紹介しています

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ファシリテーター:河村 葉子

河村 葉子

2006年に23年間勤めた企業を退職し個人開業。ゲシュタルト療法の哲学を基盤に、個人カウンセリング、ワークショップ、依頼に応じて教え、スーパービジョンを行う。現在もゲシュタルト療法とセンサリーアウェアネスを中心に生徒としても学び続けている。

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音楽のこと

2022年11月30日 18:22

世に好きな物事はあまたあるが、音楽はその一つだ。
好きなジャンルは? とよく問われるが困る。ジャンルで言えば全部該当する。
私にとって区分けは意味がない。
ただ、なかには、聴きたいと思わない時には騒音でしかない音楽もある。
日常的にはクラシック音楽を聴くことが多い。

その時、その時、聴きたい音楽があり、同じ曲でも奏者が変われば、違った風景が広がる。
音は聞くそばから消えていく。
時にぶつかり、時に溶け合い、メロディやリズムを生みながら過ぎていく。
音楽は生きていることそのものだ。
いつだって一期一会。

時々演奏会に出かけるが、
喜びに満ちたり、退屈したり、新鮮な驚きがあったり、さまざまな一期一会を味わう。
普段はCDを聴く。

このように音楽とは親しいのだけれど、一つ忘れ難い体験がある。

何年前になるのか、8~10年くらい前かもしれないが、
センサリーアウェアネスのワークショップのために
カナダのコルテス島に2週間滞在した折りのことだ。
コルテス島は2度目だったが、2週間の滞在は初めてだった。
きっと音楽が聴きたくなるに決まっていると、
気に入りのCDを数枚、悪戦苦闘の末にiPhoneに入れて出かけた。

結果から言えば、私は滞在している間、一度も音楽を聴きたいと思わなかった。
それどころか、1週間が過ぎようとしたある日の食事時に、
参加者がモーツァルトをかけてくれたのだけれど、
それが何とも耳障りで困った。
申し訳なかったが、お願いして音量を下げてもらった。
私の反応に私自身がたまげた。
「これは何だろう」頭の中をパタパタと思考が駆け回ったけれども、
ほどなくそれも忘れてしまった。

コルテス島から帰国して2日目の朝のことだ。
目覚めて、窓を開け、空を眺めていると、
鳥たちの声に交じって道路を走る自動車の音が聞こえて来た。
その瞬間、私の中で何かが起きたようにボンヤリと感じたのだが、
突然音楽を聴きたくなった。
決然とCD棚に向かいながら、そうか! と閃いた。
 
鳥たちの声や鹿の鳴き声、海の波が寄せる音、
明け染めていく時間から夕暮れまで1日として同じではない空模様、
木々の匂いや潮の匂い、風の起こす様々な音、
空気、日差し、風が触れる感触… 
コルテス島では来る日も来る日も、耳だけでなく、
目でも、鼻でも、肌でも自然の音楽を聴いていたのだ。
それで満たされていた。

都会に暮らす日々は、自然より声高な人工的な音や物の多さに疲れるのだ。
だから私は音楽を求めるのに違いない。
あ、思考がパタパタ駆けだした。
音楽で遮断してるの? コルテス島に住んだら音楽いらないの? まさか? 
もう~! いちいちうるさいなぁ。