ゲシュタルト療法をファシリテートする、心理療法の専門家「ファシリテーター」がワークショップの雰囲気やセッションの内容などに触れるブログを紹介しています

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ファシリテーター:河村 葉子

河村 葉子

2006年に23年間勤めた企業を退職し個人開業。ゲシュタルト療法の哲学を基盤に、個人カウンセリング、ワークショップ、依頼に応じて教え、スーパービジョンを行う。現在もゲシュタルト療法とセンサリーアウェアネスを中心に生徒としても学び続けている。

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さて、何しましょう?

2023年7月12日 18:37

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
―――――
方丈記のあまりにも有名な一節が私の中で実感を伴って久しい。
殊にここ数年の、世界の、環境の変化は驚くばかりだ。
同時に私の内なる変化にも興味が尽きない。
内なる変化は、微細に、少しずつしか意識しない。
気がつくと、あら、という発見になる。

食への関心がなくなった。
グルメと言えたかどうかはわからないが
美味しいものを味わうためのひと手間は必要だったし、喜びだった。
好みの食材のために遠くまで出かけたり
好みの料理のために調理器具を揃えたり、調理に時間をかけたり…
これがなくなった。
今も美味しいものを食すのが基本だけれども
品数も量もいらない、あるものでシンプルに調理すれば十分だ。

保存欲がなくなった。
気に入った本、心動いた本はいつでも手に取れるよう
学びの本や記録はいつでも振り返ることができるよう
数々の写真は薄れる記憶を留め、時々は足跡を懐かしめるよう
CDやDVDは、聴きたい時、観たい時にいつでも視聴できるよう
中には、「持っている」という満足感だけのために…
これがなくなった。
手元には、今、愛おしむだけのものがあれば十分だ。

もったいない、が薄くなった。
まだ使えるから
まだ着られるから
使わないけれどもプレゼントや頂き物、記念品だから
何かの役に立ちそうだから…
幼少のころから身に沁み込んだ「もったいない」
今もその残滓はあるけれども
時代が変わりリサイクルやリユースに出せるようになったし
物を「使うという意味」で考えるようになった
今、使っている物だけがあれば十分だ。

欲が薄くなったのだ、と気づく。
ちょうどよい頃合いなのだ、と気づく。
私が大人に向かう時代には人生は50年だった。
私が社会人になった時、定年は55歳だった。
私が馬に出会った頃、人生を折り返した、と直感した瞬間があった。
その折り返し時点と同じだけの時間を迎えようとしていることに気づく。

あら、だとしたら、ここからは余生だわ。

どれだけ貢献できたのか、できなかったのかは別として
社会の中で、これまでに与えられた
折々に機会をもらってきた幾つかの役割を私なりに努め終える。
そして
幾ばくかでも余生を与えていただけるのなら、さて、何しましょ。