ゲシュタルト療法をファシリテートする、心理療法の専門家「ファシリテーター」がワークショップの雰囲気やセッションの内容などに触れるブログを紹介しています

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ファシリテーター:河村 葉子

河村 葉子

2006年に23年間勤めた企業を退職し個人開業。ゲシュタルト療法の哲学を基盤に、個人カウンセリング、ワークショップ、依頼に応じて教え、スーパービジョンを行う。現在もゲシュタルト療法とセンサリーアウェアネスを中心に生徒としても学び続けている。

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馬で旅した内モンゴル

2024年6月12日 18:06

片づけをしていたら、ひらりと写真が滑り落ちた。
目にした瞬間、広大な風景が私の中に広がった。
どこまでも広がる草原の緑と、どこまでも広い青い空。
照りつける太陽の日差しと、肌を撫でるさわやかな風。
360度の地平線に囲まれたそこは、かつて馬で旅した内モンゴルだ。

幾つかの場面が走馬灯のように浮かんでは消え、流れていく。

蒙古馬は小柄だがスタミナがある。
内モンゴルでは木製の鞍だと聞いてはいたが
乗ってみると予想以上にお尻が痛くなりそうだ。
長旅に耐えられるか心配したが
先頭を行く馬の提供者でありガイドである牧人たちを見て
半尻乗りを覚えた。
身体を片側に落として尻の半分で乗る。
疲れたらもう一方の尻に乗り換える。
素晴らしい知恵だ。

夕方、目的地に着くと馬たちは馬装を解かれ
手入れされ、片方の前脚と後脚を軽く縛られて放される。
駆け足ができないよう、けれど不自由さは最小限になるような縛りだ。
「遠くに行ってしまわないの?」
牧人たちは「心配ない」と笑う。

冷気に包まれたシンとした夜の匂い。
夜は真っ暗ではないというシンプルな驚き。
気味が悪いほどたくさんの星々の瞬きが降ってくるような空。
ふいに間近に話し声がしてギクリとした瞬間。
周囲に目を凝らし、慎重に耳をそばだてる。
ああ、あんなに遠くに見えるパオ(ゲル…丸いテント状の住居)の中での
誰かと誰かの会話だと気づく。
声の調子から誰と誰なのかまでわかってしまう。
遮るもののない空間で音はこんなふうに伝わって響くのだと驚く。

翌朝出かける時間が近づいても馬たちの姿がない。
360度どこにも見えない。
「馬たちを探しに行かないの?」
のんびりしている牧人たちは指をさして「あそこにいる」と答える。
目を凝らしても何も見えない。
からかわれているのかと思い始めた頃
黒っぽい点々が揺らぐことに気づく。
牧人の一人に先導されて馬たちが三々五々やって来るのだった。

長旅では馬たちを疲れさせないようペースに気を配るが
乗り手を楽しませるため毎日1~2回は駆け足の時間がある。
ある日、牧人のリーダーがにやりと笑い「競争しよう!」
わぁっと一斉に馬を走らせる音が響く。
風を切りながら駆けるそばから空や風景がぐんぐん飛び退る。
いつの間にか先頭にたち
まるで羽が生えたかのような心地を味わう。

どこまでも、どこまでも、どこまでも
このまま永遠を駆け抜けたい。

ふと理性に呼ばれ馬のペースを緩める。
ゆっくり並足に戻しながら、不意に音がしないことに気づく。
ドクンと心臓が鳴る。
振り返ると、広い、広い、広い緑の草原があるだけだ。
猛スピードで頭の中が忙しくなる。
(えっ? みんなは? いつから? 私、方向間違った? えっ、方向って? …)
心臓がギュッとなる。
忙しない呼吸音が身体中に響く。

(落ち着け!!)
自分に命令を下し、早鐘の心臓をなだめ、ゆっくりと周囲に目を凝らす。
はるか彼方に黒い点々が見える、ような気がする…
(願望かしら…)
う~ん、他の方向には点々すらない、ような気がする…
(ほんとかしら…)
とにかく行ってみるしかない。
またもや馬を駆る。
(一体どのくらい時間がかかるのだろう? もし違ったらどうしよう?)

黒い点々が、豆粒くらいの大きさになり
次第に思い思いに休んでいるらしい人と馬の姿になる。
安堵感と申し訳なさでいっぱいになりながら駆ける。
牧人たちは私を指さしながらゲラゲラと笑い合っている。
「〇■△◇●□△!」
ゲラゲラ笑いが止まらない。
どうやら私をからかっているか、冷やかしているようだ。
遠目の利く彼らには私の慌てぶりや必死の形相が見えていたのかもしれない。
癪に障ると怒るふりをしたかったが
安堵感が勝って破顔一笑してしまう。

私にとって“遠い”と感じる距離が
彼らには大した距離ではないらしい…
ボンヤリした戸惑いとじんわりした驚きが広がる。

馬に無理をさせたので、この後はゆっくり歩かせたかった。
しかし私のせいで行程は遅れているはずだ。
恐る恐る意向を伝えると、当然だと言うように同意を得られ
リーダーが付き添ってくれることになる。
他の牧人たちと一行は速足で出発し、ほどなく姿が見えなくなる。
ゆっくり歩きながら私たちが予定地に着いた時には日が沈んでいた。

刻々と変わる夕暮れの色彩に照らされ
雄大な大地を馬と共にゆっくりと行く
まるで世界と溶け合うかのような
満たされた感覚は
今も私の中に息づいている