ゲシュタルト的な対話
年明け早々の1/7から1/9まで、日本ゲシュタルト療法学会主催のワークショップ大会に参加しました。
いくつもの魅力的なプログラムが用意されるなか、GNJからも綾子さんと太郎さんとわたしの3人で、対話の場を提供する機会を得ました。
わたしたちのプログラムのタイトルは「日本のゲシュタルトの未来。そして僕らは…」
ゲシュタルトの恩恵を受ける立場から、それを与える立場へと変化してきていることを自覚したわたしたちの「いま」を、ゲシュタルト経験の長さや深浅、活動しているフィールドなどがそれぞれ異なる方たちと共有し、語り合いました。
まずは私たちがタイトルに込めた思いをシェアするところからスタートをして、あとはその場に起こることに任せるように、ゴールも決めずノープラン。ある人は静かに淡々と、ある人は溢れ出る思いとともに、ある人はここぞとばかりに勇気を出して、対話に参加してくださいました。
参加者ひとりひとりが、お互いの違いを「違い」としてそのままにしつつ、対話の中に身を置くものとしてそれぞれ影響し合う存在であることに気づきながらいるようでした。
じぶん以外の何者にもならずに場に存在し、「いまここ」で図に上ってきたことを素直に表現し、そして耳を傾ける。
振返ってみると、まさにゲシュタルトの哲学的背景である現象学と実存主義、我-汝の関係が体現された対話の場でした。
タイトルに対して、全体としての結論はありません。でも、ゲシュタルトの未来を想う「僕ら」として語り合ったおひとりおひとりの顔はとても清々しく見え、それぞれが、ゲシュタルトの未来に向けヒントを得られたようでもありました。心地よいクロージングを迎えることができました。
わたし自身のこととしては、この対話の時間を持つ前、「日本のゲシュタルトの未来」を想像したとき、「そこに関わるわたし」に焦点を当てた途端に、いろんな不安が湧いてきて、足元が揺らぐような不安定さを感じていました。背中にはひやひやする感覚があり落ち着かず、いつでも逃げ出せるように準備していたいような気持ちがあることにも気がついていました。そして、2時間半の対話が終わるころ、「不安はある、そして、それでいい。ここから未来に向かってスタートしよう。」そんな新たな思いとともに、腹が据わり、地に足つけてまっすぐに立っているような感覚があること気づきました。とてもありがたい体験でした。場への感謝と満足感が湧いてきました。
最後に、この大会のメインテーマのひとつでもあった「変容の逆説的理論」をご紹介してこのブログを終わりたいと思います。
この理論は「本質的な変容は、ひとが自分でないものになろうとする時ではなく、ありのままの自分を体験するときに起きる」というものです。バールズの弟子で精神科医だったアーノルド・バイサー博士によって書かれた論文のタイトルでもあります。
この論文を書き上げた彼の人生がドキュメンタリー映画として制作されていて、今回大会プログラムの中で鑑賞することができました。ゲシュタルトの中で最も大切な理論のひとつであるこの理論は、もちろんパールズから影響を受けて生みだされたものではあるけれど、まるでバイサー彼の人生そのものでした。言葉が見つからないほど衝撃を受け、そして感動しました。わたしのゲシュタルトへの信頼がさらに高まったと思います。
もし興味のある方は、vimeoという動画サイトで鑑賞できるそうです(有料)
(vimeo⇒https://vimeo.com/ondemand/flyingwithoutwingsjapane/777813585)
ぜひ、見てみてください。