ゲシュタルト療法をファシリテートする、心理療法の専門家「ファシリテーター」がワークショップの雰囲気やセッションの内容などに触れるブログを紹介しています

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ファシリテーター:岡本 太郎

岡本 太郎

文教大学大学院 臨床心理学専攻修士課程修了。臨床心理士、公認心理師。 精神科・心療内科クリニックの心理士、公立小中学校スクールカウンセラーなどを中心に心理臨床の現場で活動。

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自分を抱くもの

2023年12月30日 12:39

2023年が終わる。
仕事納めも終わり、久しぶりのまとまった連休。
毎年、この時期は1年の疲れが出るのか少し体調を崩したり、できーる範囲で掃除したり(たいてい大掃除なんて気合の入ったことにはならない)、何も考えずふらっと散歩や外出の時間を取ったりする。
気づかないうちに切羽詰まって近視眼的になってた日常から離れ、荷を下ろしたような、自分の人生を俯瞰できるような、ゆとりやスペース、静けさの感じられるこの時期は必要な時間だなといつも思う。

実は今年は3回目の年男だった。
学生時代って、もう十云年前なの?とか、割と最近の曲と思っていたのが発売されたの十年前?とか、普段仕事等々で会っている若い子たち(もうこの表現使う時点で)と一回り以上も違うの?とか、気づかない間に歳を重ねていることにびっくり。中身はそのまんまだぜ、と実年齢と体感とのギャップに驚く機会が多かった気がする。これからどんどん増えていくのかな。
同時に、自分がそれなりに時間と経験を重ねてきたことを実感する機会も多かった。
特に、人と一緒にいる自分の在り方が、前より自然で穏やかになっているなと思った。以前はもっと過敏で、しっかりと固めて隠したり、それでも御しきれず漏れ出てしまうような衝動や揺れ動きがあった。それが苦しくて、どうにかしたくて、ゲシュタルトやいろんな場を求め続けたのだ。
そういうものが無くなっては、決してない。ただ、そこを包んで抱えていられる何かが今はあるんだなと思う。
昔、あるカウンセラーの先生から教わった「まんじゅう理論」のような感じだろうか。自分のコアである、怒りや苦悩、かなしみのあんこをどうにかしようとするのではなく、あんを包む厚皮を作ってあげることの方が大切なんだよ、と。
そんなことを書きながら、自己嫌悪や怒りやらでこんがらがる日々も結構あったな・・・と反論も浮かんでくる。まあ人間、そう簡単に振り切っては変わらない。

ふと、自分を包むものって何だろう?と思った。
珍しく思い立って、セルフワークをしてみる。

「私は、太郎を包む者です。」
そんな感じで包む側になってみていると、昔、大学院生くらいの時に自分で描いた母子画を思い出した。
当時は、自分を抱いてくれるような肯定感や受容する感覚を自分の内に感じられず、求めていた。葛藤している時にその絵を描いた。

「私は、あなたが必死に生きてきたことを知っている」「あなたに、大丈夫って言ってあげたい。」
「私は、あなたを信頼している。」
ああ、これだ。どんなに不安になったり掻き乱れても、まあ大丈夫、そのままでいい、とひとつ上?の自分が言っている。自分自身や、その状況を信頼している。そういう感覚がある。

「私は、かつて外側にあった。やがて太郎と出会い、彼の内に積み重なり、培われた」
「私はあなたのてごたえだよ。だから、大丈夫。」
いろんな人の顔が浮かんだ。僕を信頼して、そばにいてくれた人。思いをぶつけてきたり、ぶつかりあった人。人だけではなく、自分を迎え入れてくれた場や自然。たくさんの経験の折り重なったものが、気がついたら自分を抱きとめる何かになっていた。

昔思い描いたのは受容的な感じの女性だったけど、今回浮かんだイメージはもっとパワフルで快活だった(笑)
まあ、そのくらいさっぱりしてる方がいいんだろう。

きっとこれからも僕は何度も血迷ったり揺れ動いたりし続けるんだろう。
でも、そのたびに自分が出会ってきたてごたえを思い出したり、支えられ、包まれながら、なんとか生きていくんだろう。
不格好だが、そうしてまた新しい景色に出会っていくことができたら、人生も面白い。