ゲシュタルト療法をファシリテートする、心理療法の専門家「ファシリテーター」がワークショップの雰囲気やセッションの内容などに触れるブログを紹介しています

GNJファシリテーターブログ

ファシリテーター:岡本 綾子

岡本 綾子

2010年度GNJトレーニングコース修了。 2012年度GNJファシリテーター養成コース修了。 Gestalt Awareness Practice Study Group Japan 2017-2019修了。 「身体と心の繋がり」に興味を持つ中で、ゲシュタルト療法に出会う。

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「締切りを2ヶ月も過ぎたのにまだ原稿が書けていない状況」をゲシュタルトワーク風に考えてみる。

2024年5月15日 19:02

このGNJのファシリテーターブログは、現在4ヶ月に1度くらいの頻度で執筆順が回ってきます。私の当番は本来3月15日でしたが、本日5月14日。気づけば2ヶ月も締切りを過ぎてしまいました。こうして書きながら、心臓から冷や汗が出てくるようなイメージがわきます。ひえー、やばい、やばい。どこか自分を責めながら、焦るような気分。呼吸もなんとなく浅くなっています。

もし、この状況についてゲシュタルトワークをすると、どのようになるでしょうか。今回は、そのプロセスを記してみたいと思います。

ワークのテーマ

まず、ワークのテーマは「私はブログが書けないまま、締切りから2ヶ月が経った」ということになるかもしれません。

言い換え

ゲシュタルト療法のアプローチのひとつに「言い換え」があります。例えば、「私は、○○できない(I can’t ○○)」という表現が出てきたときに、ファシリテーターが次のように提案することがあります。

「“できない”という代わりに、“したくない”と言い換えてみてください」

そこで、「ブログを書けない」という代わりに「書きたくない」と言い換えてみます。これは、ブログを書かないことを自分自身で選択している、ということを明確にするための表現です。

⇒「私はブログを書きたくないまま、締切りから2ヶ月が経った」

気づき

すると、次のような思考が浮かんできました。

「書きたくない、というほど明確な意思はなかったけど、他のいろいろなことのほうが緊急性を帯びて見えていたから、そちらを優先させていたんだよね・・・」。

このとき、身体の感覚に意識を向けてみると、左胸のあたりが少しゆるんだことに気づきます。この、ゆるんだ感じに意識を向けてみると、次のような思考が浮かびました。

「何か、“ちゃんとしたこと”を書かなくてはいけない気がしていたなあ・・・。“ちゃんとしたこと”というのは、読んで面白そうなこととか、魅力的な自分を演出できそうなこと。」

新しい選択

そこでまた、次のように言い換えてみます。

⇒「私は、読んで面白いブログ、または魅力的な自分を演出できそうなブログを書こうとして、締切りから2ヶ月が経った」

これは実感に近い手応えがあります。この2ヶ月、「読んで面白いブログ、または魅力的な自分を演出できそうなブログを書こう」という縛りを自分に与えていたことに気づきました。しかし実際には、そうした内容を思いつかないまま時間が経ち、今ここに至ったというわけです。

そこで、私は、新しい行動として「面白くなくても、魅力的に見えなくても、とにかくブログを仕上げる」ということを選択することにしました。そうして出来たのがこの文章です。

ゲシュタルト療法における「責任」と「選択」

ゲシュタルト療法のアプローチでは、「○○できない」を「○○したくない」や「○○しない」に言い換えるように勧めることがあります。ゲシュタルト療法においては、「したくない」や「しない」という表現は、自分自身の責任をとっている表現だと考えます。

ここでいう「責任をとる」は、一般的な「責任をとる」とは意味合いが異なります。一般的な「責任をとる」は、「立場上の任務や義務を負うこと、あるいは、失敗や損失による責めを負うこと」を意味します。これに対して、ゲシュタルト療法における「責任をとる」は、「その状況に対してどう反応するか、自分自身が選択していることを自覚する」ことを意味します。

ゲシュタルト療法では「自分自身が何を選択しているかに気づくことで、新たな選択が可能になる」と考えています。言い換えによって責任を明確化してみることで、自分の選択に気づき、心境が変わる場合があるのです。

もし、原稿が書けない、片付けられないなど、「やらなきゃいけないと思っているのにできない」ことがある方がいたら、試しに「私は○○したくない」と言い換えてみることで、何か気づきがあるかもしれません。