「締切りを2ヶ月も過ぎたのにまだ原稿が書けていない状況」をゲシュタルトワーク風に考えてみる。
このGNJのファシリテーターブログは、現在4ヶ月に1度くらいの頻度で執筆順が回ってきます。私の当番は本来3月15日でしたが、本日5月14日。気づけば2ヶ月も締切りを過ぎてしまいました。こうして書きながら、心臓から冷や汗が出てくるようなイメージがわきます。ひえー、やばい、やばい。どこか自分を責めながら、焦るような気分。呼吸もなんとなく浅くなっています。
もし、この状況についてゲシュタルトワークをすると、どのようになるでしょうか。今回は、そのプロセスを記してみたいと思います。
ワークのテーマ
まず、ワークのテーマは「私はブログが書けないまま、締切りから2ヶ月が経った」ということになるかもしれません。
言い換え
ゲシュタルト療法のアプローチのひとつに「言い換え」があります。例えば、「私は、○○できない(I can’t ○○)」という表現が出てきたときに、ファシリテーターが次のように提案することがあります。
「“できない”という代わりに、“したくない”と言い換えてみてください」
そこで、「ブログを書けない」という代わりに「書きたくない」と言い換えてみます。これは、ブログを書かないことを自分自身で選択している、ということを明確にするための表現です。
⇒「私はブログを書きたくないまま、締切りから2ヶ月が経った」
気づき
すると、次のような思考が浮かんできました。
「書きたくない、というほど明確な意思はなかったけど、他のいろいろなことのほうが緊急性を帯びて見えていたから、そちらを優先させていたんだよね・・・」。
このとき、身体の感覚に意識を向けてみると、左胸のあたりが少しゆるんだことに気づきます。この、ゆるんだ感じに意識を向けてみると、次のような思考が浮かびました。
「何か、“ちゃんとしたこと”を書かなくてはいけない気がしていたなあ・・・。“ちゃんとしたこと”というのは、読んで面白そうなこととか、魅力的な自分を演出できそうなこと。」
新しい選択
そこでまた、次のように言い換えてみます。
⇒「私は、読んで面白いブログ、または魅力的な自分を演出できそうなブログを書こうとして、締切りから2ヶ月が経った」
これは実感に近い手応えがあります。この2ヶ月、「読んで面白いブログ、または魅力的な自分を演出できそうなブログを書こう」という縛りを自分に与えていたことに気づきました。しかし実際には、そうした内容を思いつかないまま時間が経ち、今ここに至ったというわけです。
そこで、私は、新しい行動として「面白くなくても、魅力的に見えなくても、とにかくブログを仕上げる」ということを選択することにしました。そうして出来たのがこの文章です。
ゲシュタルト療法における「責任」と「選択」
ゲシュタルト療法のアプローチでは、「○○できない」を「○○したくない」や「○○しない」に言い換えるように勧めることがあります。ゲシュタルト療法においては、「したくない」や「しない」という表現は、自分自身の責任をとっている表現だと考えます。
ここでいう「責任をとる」は、一般的な「責任をとる」とは意味合いが異なります。一般的な「責任をとる」は、「立場上の任務や義務を負うこと、あるいは、失敗や損失による責めを負うこと」を意味します。これに対して、ゲシュタルト療法における「責任をとる」は、「その状況に対してどう反応するか、自分自身が選択していることを自覚する」ことを意味します。
ゲシュタルト療法では「自分自身が何を選択しているかに気づくことで、新たな選択が可能になる」と考えています。言い換えによって責任を明確化してみることで、自分の選択に気づき、心境が変わる場合があるのです。
もし、原稿が書けない、片付けられないなど、「やらなきゃいけないと思っているのにできない」ことがある方がいたら、試しに「私は○○したくない」と言い換えてみることで、何か気づきがあるかもしれません。