ゲシュタルト療法をファシリテートする、心理療法の専門家「ファシリテーター」がワークショップの雰囲気やセッションの内容などに触れるブログを紹介しています

GNJファシリテーターブログ

ファシリテーター:中山 史

中山 史

2006年幼稚園の母親学級で、GAF代表・有村凛さんと出会いゲシュタルトを知る。その後、ゲシュタルトを自らの育児に活かすためママ友と育児サークルを立ち上げ7年間活動。2011年ゲシュタルト療法ベーシックコース、2013年同アドバンスコース修了。2017年よりGNJスタッフ

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「いまここ」のわたし

2023年8月31日 18:50

GNJでは、この10月からアドバンストレーニングコース、翌年1月からはベーシックトレーニングコースを開講予定しています。
わたしがベーシックトレーニングに参加したのは2011年の鹿児島でした。あれから12年。トレーニングに参加したころのことを、少し思い出してみようと思います。

講座のある週末は、子どもたちが所属していたスポーツ少年団の試合などが重なり、2日連続のところ1日だけしか参加できないことが多かった。夜の懇親会に参加した記憶もほぼない。そこからして、当時のわたしは、お母さんとして頑張っていたのだろうと思い出す。
学校や地域の役員を様々引き受けたり、そのころはスポーツジムに通うことにはまっていて、その延長でフルマラソン大会に出場したり、実家の手伝いしたり。仕事はしていなかったけど、一日に、3つも4つも予定を入れて動き回っていた。いまでは想像もできない生活。

今ここまで書いて、読み返しながら、みぞおちあたりに冷や冷やする感覚が湧いてくることに気づく。一体この感覚はなんだろう・・・。ちょっと一緒にいてみよう。

冷や冷やする感覚を感じていると、肩が重く、呼吸を止めていることにも気づく。そこにとどまっていると、「それ、いつ終わる?」っていう言葉が浮かぶ。「それ、いつ終わる?」
不安なのか怒りなのか、そんなものをみぞおちあたりに感じながら、「終わる」のを待っているじぶんに気づく。小さな子どもみたいに。

「わたしは誰を待っているんだろう?」

答えはすぐに浮かぶ。母だ。わたしが幼い時から、母はずっと家にいたけど、たぶんいつも忙しかった。自宅に仕事場を構えていた父のサポート、年子の弟のお世話、客人への対応、濃い親族づきあい。母が役割をひと段落させて、自分のところに来てくれるのを、期待と不安をないまぜにして、じっと待っている子ども時代のじぶんの姿が浮かぶ。寂しさとともに、そんな頃があっただろうなと、腑に落ちる感覚に気づく。
そして、あらためて49歳の「いまここ」のわたしがはっきり分かることは、わたしは幼いなりに、母も若いなりに、お互いがんばっていたということ。じぶんの置かれた状況の中で、最善を尽くして、わたしたちはよくやった。

そして、母と同じ年で結婚、出産したわたしも、若いなりに頑張っていた。きっと我が子らも、そんな母親の姿を横目に育ち、彼らなりに辛抱したりしながら、大人になってきたんだろうな。わたしたち親子、お互いがんばって、よく生きた。

そういえば最近、ちょっと面白い気づきがあったことを、このタイミングで思い出した。

実家に帰省していた時のこと。息抜きに近所の温泉に行った。そこは田舎の温泉にしては設備が充実していて、広めのサウナとたっぷりとした水風呂がある。せっかくの温泉だから(がんばって)湯船には長めに浸かろう。せっかくのサウナだから(がんばって)普段かかない汗をいっぱいかこう。せっかくの水風呂だから、冷たくても(がんばって)肩まで入ろう。息抜きとかいいながら、いつもちょっとだけ頑張っているじぶんがいることに、気づいてはいた。そのときも、湯船につかりながら、「やってるね~」とじぶんにツッコミを入れた。そして、せっかく気がついたから(笑)、今日は頑張るのをやめてみようかと思いついた。

ちょっとでも不快な感覚に気づいたら、あがる。湯舟、サウナ、水風呂をくるくるしながら、それを繰り返した。くるくるくるくる。「快」から離れないように、くるくるくるくる。
「好きに移動するって楽しいな」とじわじわ感じながら、くるくるくるくる。

さすがにちょっと疲れて、湯船に足だけつけてボーっとしていたとき、突然ある気づきが湧いた。子どものころから抱えていた、あるわだかまりが、一片の言葉と共に、頭から首、肩そして背中をすーっと通って、足元から抜け出ていったのだ。まさに、水に流すとはこのことか!という体験だった。この体験については、長くなりそうなのでここでは書かない。でも、この気づきが、わたしの日常にどう影響しているかというと。これまで人と関わるとき、多くの場面で感じていた「申し訳なさ」みたいなものを、ここ最近、味わうことがなくなっている。そして、「申し訳ない」ことがなくなると、世の中は、思っているよりずっとシンプルだということが見えてきている。

いま思い浮かんだのは「ゲシュタルトの祈り」だ。「わたしはわたしのことをする。あなたはあなたのことをする」で始まるパールズの詩。ゲシュタルトと出会って16年、トレーニングに参加して12年。憧れだった「ゲシュタルトの祈り」に、うっすらとだが、じぶんの姿を重ねてみることができたような、そんな気がして、すこし嬉しい「いまここ」。

さて、最後にGNJトレーニングコースに話を戻そう(笑)
ゲシュタルトに興味のある方、ぜひ10月開講のアドバンストレーニングコース、1月開講のベーシックトレーニングコースにご参加ください。一生モノの「ゲシュタルト沼」が、あなたを待っています!