座禅体験(六)
先日の学術大会ではからずも陣内さんの四門出遊、八正道の講義に触れた。私は映画のゴーダマ・ブッタを思い起こして懐かしく、うれしい気分で聞き入った。
台東区立社会教育センターホールで行われた仏教入門の講座で、洋画「ゴーダマ・ブッタの生涯」が上映された。
太子釈尊(幼名)は王族の出身で幼年期、少年期、青年期はネパールのカピラ城で過ごした。城内には三つの高殿があり一つは冬のために、一つは暑い夏のために、もう一つはうっとうしい雨季のためであった。中でも雨が三か月も続いたときなど美しい女官に囲まれ終日歌舞音曲で過ごし、その間、そこから一歩も外に出ずまったく遊楽三昧の生活ぶりであった。16歳で結婚、29歳のとき王妃との間に長子が生まれた。贅沢な衣食住、大勢の女官に囲まれこの華やかな姿から、断食をして苦悩するゴーダマ・ブッダは想像にしがたい。
四門出遊
カピラ城には、東西南北に四つの門があった。あるとき太子は東の門を出た。そこに見たものは醜い老人たちの姿だった。人間は誰でも老いる。若さに驕る青年も、いつの日か老醜に直面し嘆き苦しまねばならない。人間存在の本質を知った。またあるとき、南の門をくぐって見たのは病人であった。大勢の病人がやせ衰え、呻き苦痛に苛まれていた。健康に驕る人間も、いつか病に直面したとき、苦しみにのたうちまわらねばならない。さらに三度目、西の門を出て郊外に向かう。そこには死体が横たわっていた。太子は死と直面し、死を直視した。人間はすべて死す。命はたんなる驕りでしかない。はかなき驕りである。かならず人間は驕りを失って、物体と化さねばならない。老・病・死・・・それは人間本来の本質的な苦悩である。太子は苦悶しながらあと一つの門、北の門を出た。そこで太子を待っていたのは沙門(出家修行者)の清々しい姿だった。いつの日か自分も出家して沙門となろうと決意した。
出家
北の城門が音もなく開き、太子は愛馬とともにカピラ城を後にした。その時29歳、太子釈尊は沙門釈尊(出家修行者)への新たな旅たちが始まった。粗末な衣服をまとい、托鉢によって食を得、インドの尼連禅河(ガンジス河にそそぐ)のほとりにある小さな村にたどり着いた。断食の苦行が始まった。眼は深く落ち込み、瞳はくぼみ、皮膚は皺がより頭も顔も体も縮んでしまった。腹の皮に触ると背骨に触り、背骨に触ると腹の皮に触りしゃがむと頭が重くへなへなとなりつい前に倒れてしまった。もう前後不覚の寸前だった。これで果たして人間らしい知恵や判断が見いだせるであろうか。しかし何も見つからない。何かがあるはずだ。何かがなければならない。
つづく