座禅体験(七)
中道の発見
沙門釈尊の断食の苦行はつづいた。これではたして人間らしい智慧や判断が見出せるであろうか?そんなある日、尼連禅河(ガンジス川の支流)の堤を農夫が俗謡を口ずさみながら通った。
琵琶の絃について唄っていたのである。「きりりと締めれば ぷつりきれ、さりとて緩めりゃ べろんべろん」
変哲もない唄であった。しかしそれを耳にした瞬間、沙門釈尊は思わず「そうだ!」と叫んだ。彼は苦行の「無意味」を悟ったのであった。
中道の発見であった。両極端を排した中道。それが仏教の基本精神に他ならないのだが、その「中道」を沙門釈尊は農夫の俗謡に触発されて悟ったのである。自分は、カピラ城の宮殿にあって、贅沢でわがままな生活に耽っていた。それも一つの極端である。しかし、いま自分は、決死的な苦行をやっている。これだって、もう一つの極端ではないか。彼は猛省し,苦行ではわが身の愛着はとうてい捨てきれない、欲望も執着心も同じことである。極端な道を歩いていては、自分の求めるものは得られないであろう。
中道とは
中道とは仏教の基本精神であり、根本の精神である。その中心は「いい加減」である。それぞれの人にそれぞれのいい「湯加減」があるということだ。けしてちゃらんぽらんで中途半端で投げやりなことではない。「中道の概念」は、インド思想史上、天才釈尊がはじめて言い出されたことであり、まったく新しい考えである。
苦行によって得られたものは苦行的である。自分の求めているものはもっとゆったりしたものである。「ゆったり」したものは、「ゆったり」した道でしか得られない。沙門釈尊は苦行を放棄することにした。中道を歩む決意をした彼は、まず尼連禅河で沐浴をし、埃にまみれた身を清めた。大きな真理を実現し、正しい道をあゆんで行くには、しっかりとした体力が必要なのだ。彼が尼連禅河の堤に倒れていたとき、通りがかった村娘が彼を介抱し、それから毎日乳粥を運んでくれた。一ヶ月も二ヶ月も静養に努めた。
つづく